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 天気予報では朝から快晴だとのことだったのに、駅を降りてみれば空は鬱々と灰色に曇っていた。
「雨降るのか?」
「さすがに大丈夫でしょ。降らないって言ってたんだし」
 心配そうな鈴の言葉にそう受け答えながら、大学までの道程を歩いた。
 一階の大教室に着くとどういうわけかひとが一人もいなかった。月曜の一時間目だから元々時間通り来るひとは少ないが、それを考慮してもおかしい。鈴に「荷物見てて」と言い残して教室を出、建物の入り口付近に天井からぶら下がっている電光掲示板を見ると、休講情報の欄に、受けるはずだった講義の名があった。引き返して「休講だって」と告げた。鈴は「そうだったのか」とひとのいない教室を見渡した後、「睡眠時間、損した……」と情けない表情でまぶたを擦った。
 午後まで暇になった。
 仕方ないので、暇なときにいつも立ち寄る、学校の裏手の喫茶店へ向かった。が、臨時休業の札が木製の扉の取っ手にぶら下がっており、理樹は「ええー」と我知らず呟いた。
「じゃあ、理樹がこの前言ってたところに行こう」
「え? なんか言ったっけ?」
「向こうのほうに」と鈴は駅とは反対側の道路を指差した。「なんか良さそうな喫茶店があったって」
 思い出した。確かに言った。見付けたのは二週間程前、今日のように講義が休みになって時間が空いてしまったときのことだ。普段足を踏み入れない場所を探検してみようという、子供じみた思い付きの末に行き着いた喫茶店で、そのときは時間があまりなくて入らずに引き返してきたが、何処か立ち寄ってみたくなる独特の雰囲気を醸し出していたものだった。
「よし、行ってみようか」と言って、理樹は歩き出した。
 駅の逆側へしばらく歩けば、駅前の喧騒は急速に遠ざかり、静かな住宅街とも違うちょっと不思議な町並みが現れる。古風な店が軒を連ねたごく短い商店街を通り抜け、代わりに現れた長い石塀を辿って行く。石畳の緩い坂道を登って、短い煉瓦造りの陸橋を渡る。
 その辺りで突然雨が降り始めた。
「理樹は嘘吐きだ」と鈴は髪から雨水を滴らせて言った。「降らないって言ってたのに」
「嘘吐きなのは天気予報のほうだと思う……」
 体が濡れて寒い。陸橋の脇の勾配を下る途中で、少し錆の浮く鋳鉄製の手すりの付いた、横幅の狭い階段に行き当たる。高低差のせいで歪に並んだ建物と建物の間に、まるでこちらを誘うような構えで伸びている。濡れたコンクリートに足を滑らせそうになりつつも、手をつないで下り始めた。先に進むにつれて、両脇の壁が高く垂壁のようにせり上がり、そのへりに灰色の空がだんだんと小さく切り取られていって、雲の中に朧に瀰漫していた陽光も遮られ、足元の石段に長い長い影が落ちると、後はただ雨水だけが微かに光り、雨音のみが僅かに響き、喧騒や、日常や、現実や、そういった様々なものたちから切り離された空間を、ひたすら歩いている気分になる、ふわりとした、緩やかな下降。
 底まで下りると、右側に抜ける細い道が一本ある以外は行きどまりで、反対側の番地の高い塀が落とす影の中に、どういう事情でこんなところに店を構えることになったのかいまいちわからない喫茶店が、ひっそりと建っていた。真鍮製のベルをからんと鳴らして店内に入った。時間帯のせいもあってひとは少なく、左側が硝子張りの薄暗い店内は、時間の流れが極度に遅くなったような雰囲気を醸していた。寄木細工の床と雨水に濡れた靴底との間で、甲高い音がした。親切な店員のひとが貸してくれたタオルで体を拭いた。窓際の四人がけの席に座って、二人ともエスプレッソを注文し、ようやく落ち着いたと思いながら、顔を見合わせた。
「上手くいかない日だな」
 ぽつりと鈴が言った。確かにそのとおりだった。晴れるはずの空は曇り、受けるはずの講義は休講で、開いているはずの喫茶店は休業しており、降らないはずの雨に思い切り降られる。予想は外れる、何がいつ起こるかわからない、一寸先は闇、ということか。
「まあ、こんなもんだよ」と理樹は言った。
「そうか、こんなもんか」と鈴は納得した表情をして、店内を見回した。「でも、いい感じのお店だ」
 それから珈琲がやってきて、苦いのが意外と大丈夫な鈴はそのまま飲み、理樹は砂糖を鈴が顔をしかめるくらい入れて飲んだ。
 冷えた体がゆっくりと温まっていく。
 鈴は途中でレアチーズケーキを注文し、理樹も端を一口貰った。珈琲を飲み終えた後も、硝子越しに雨音が遠く響くのを聞きながら、雨宿りのために長々と店内に居座った。
 雨の上がった昼食時、外に出ると、空からは雲の切れ目をすり抜けて陽光が射していた。「やっと天気予報のとおりになった」と言った鈴は、走って階段を数段登り、くるりと振り返って理樹を待った。理樹は階段の頂上を見上げた。鈴の背後から陽の光がまともに目に飛び込んできて、目を細めた。追いつくと鈴が真面目な顔で言った。
「実は次の講義も休講なんだ」
「そんなことはないからね」
「昼食べて帰ろう」
「だから休講じゃないって」
 二人で階段を登っていく。大通りを走る車の音や行きかう人びとの声が響き、左右の壁が次第に低くなって、太陽の見え始めた空が、一面に広がる。


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