陽のすっかり暮れた帰り道、電灯の光の下に人影を見付けた。買い物袋を提げて坂道を登るその後姿は間違いなく鈴のものだ。元気のない歩調で歩きながら、遠目からでもわかる溜息をついていた。理樹は小走りに歩み寄って肩を並べた。
「鈴」
「ん、ああ、理樹」と鈴は、すぐに理樹の存在に気付いて、覇気のない声で呟いた。「理樹も今帰りか?」
「うん」
 頷いてから、鈴が両手に袋をぶら提げているのを見る。
「一つ持とうか」
「じゃあこっちを頼む」
 鈴は左手に持つ袋を手渡した。もう一方は牛蒡と長葱が飛び出しているので今日の夕食の材料だろうと理樹は思った。一週間ごとに料理当番を交代するという、同居生活を始めるにあたって最初に決めたルールは今も忠実に守られていて、今週は鈴の当番だ。しかしそれよりも大きく膨らんだこちらの袋はいったいなんなのか、と頭の片隅で考えながら受け取ると、その瞬間、凄まじい重量が手首から肘、肩へと走った。足場が勾配だったことも相俟って、理樹は思わずたたらを踏んだ。
「何が入ってるんだよっ」
「モンペチ」
 指に紐状のビニールが食い込むのを我慢しつつ開いた。中にはキャットフードの大きな缶詰が色取り取りに三、四十個は入っていた。
「幾つ買ったんだよ……」と呆れて問うと、「三十五個」という返事が返ってきた。こんなものを持って平然と坂道を登る鈴は、実は理樹よりもよほど体力がある。ちょっと悔しい。微妙に情けない顔をして袋の中を覗き込む理樹を見て、鈴は小さく言った。
「ドスとデリダとニジンスキーがお腹すかせて待ってるからな」
 生まれ故郷の街から遠く離れた東京に引っ越し、大学に通い始めてから飼い始めた、相変わらず大仰な名前を付けられた三匹の猫たちの名を、慈しむように呼ぶ。幾つ目かの電灯の下に差しかかって、鈴の横顔が光に照らし出されたのは、そのときのことだった。その表情がとても寂しげに、或いは疲れているように、ふと理樹の目には映った。理樹は思わず訊いた。
「疲れてる?」
「いや別にそんなことはないぞ」
 鈴は即答して、いきなり何を言うのか、とでも言いたげに理樹を見た。
 だが一瞬後、ふっと力の抜けた表情を見せ、立ちどまった。理樹を相手に、何かを隠したり強情になったりする必要はないことを思い出した。
「うん……そうかもしれないな。疲れてるかもしれない」
 理樹は、どうして、とは訊かなかった。鈴も、理由を説明しはしなかった。
「早く帰ろう」と理樹が言った。「ドストエフスキーもデリダもニジンスキーも、お腹すかせて待ってるよ」
「そうだな」
 二人は再び歩き出す。思い出したように、鈴は理樹に肩をすり寄せ、自分の持つ袋を目線の高さまで掲げてから、「それに、猫だけじゃなくて……」と言葉をつなぐ。
「あたしたちも、お腹すいてる」
 そう言って、笑った。


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