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 朝、学校へ向かうときに降っていた雨は、講義が終わって校舎から出るとやんでいた。硝子戸を押し開けて外へ駆け出した鈴が、すぐ後ろに立つ理樹の目の前で、「うわっ」と声を上げ、濡れたアスファルトに足を滑らせた。
「走ったら危ないよ」
 転びそうになったところを、肘を押さえて支えた理樹が言った。
「だって」と理樹にぶら下がったまま鈴が弁解した。「早く行かないと学食混むぞ」
「それはそうだけど」
「おなかすいた……」
 細い声で訴える。今朝寝坊して朝食を食べられなかったのは理樹も同じなので、同感だった。「じゃあ行こうか」と、肘を押さえていた手で、ほとんど意識せず自然と鈴の手を引いて、理樹は歩き出した。最初は特に抵抗もなく普通に歩き出した鈴だったが、そのまま手を引かれて歩いた距離は、学食までの道程の半分にも満たなかった。道の真ん中で突然物凄い勢いで手を離し、反動で理樹は危うく前へ転びそうになった。
「どうしたの?」
 後ろを振り返ってそう訊いたが、訊くまでもなく理由はわかった。顔が赤い。周囲をきょろきょろと見回している。
「この前な」と情けない声で鈴は言った。「英語で同じクラスの友達に理樹といるところを見付かって、後でたくさんからかわれたんだ。それと、フランス語で同じクラスのひとにも……。手をつないでるところなんて見られたら大変だ」
 大学生にもなって男女関係でからかわれる辺りが鈴らしい幼さだった。
「でもほら、滑ると危ないよ」
「子供じゃないから大丈夫だ」
「さっき子供みたいに転んだじゃないか……」
 走り出した理由まで、おなかがすいたという子供っぽいものだった、とは言わない。蹴られそうな気がしたからだ。
 二人は手を離したまま学食まで歩いた。学食は鈴の言うとおりかなり込み合っていたが、ちょうど食事を終えて立ち上がった三人組がおり、その空いた席を確保した。カレーライスとうどんという実に代わり映えのしないものを二人して食べ、午後の講義が始まる直前になって、混雑の収まってきた学食を後にした。
 学食を出るとき、出口のタイル張りの段のところで転んだのは、理樹だった。足が空を切り、しまった、と思ったときにはもう遅かった。
「濡れてるから危ないぞ」と、先程理樹がそうしたように理樹の肘を押さえた鈴が、少し笑って言った。
「そうだね」と返事をした理樹も笑っていた。
 タイルが濡れていて滑りやすかったとはいえ、鈴に、子供みたい、などと言った直後に転ぶとは、実に不覚だった。「理樹のほうが子供だ」と鈴が言う。鈴に体を吊り支えられていると、あながちそれも否定できないように思われてくる。その可笑しさの中で、二人はやはり先程と同じく、当たり前のことのように手をつないだ。鈴は辺りをちょっと見回して顔見知りがいないことを確認すると、今度は離さずに、緩く理樹の手を引いて歩き出した。
「やっぱりこうしてないと駄目だな。理樹はすぐ転ぶから、押さえててあげてないと」
「鈴もさっき思いっ切り転んだじゃないか」
「そうだった」
 そのときチャイムが鳴って、次の講義の始まることを知らせた。顔を見合わせて、二人は教室に急いだ。
 ――ちなみに理樹が後日聞いた話によると、このときの姿を見かけた英語のクラスの友人に、鈴はまた思い切りからかわれたらしい。


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